Modey Lemonの新譜"Season Of Sweets"購入。 どんどん訳の分からない方向に進んでいると思う。 普通のロックというか。 前衛的な感じを出そうとしてよりありふれているというか。 一回りしてポップというか。 "Thunder + Lightning"の頃にあったトゲトゲしさがなくなったというか。
ここ一ヶ月の間に他人の人生の転機を何回も目の当たりにして、心乱される。
ピリピリしていると体中から毒が滲みでてしまう。 あの曲のタイトルはドクガエルにしよう。 毒蛙みたいな下品なファッションで街へ出よう。
生きる目的とかそれに準ずる何かは、自分の外部(例えば、他人からの評価とか)に求めてはいけない気がする。 それは自分の力だけではどうにもならない要素を含んでいるから。 自分の力だけでどうにもならない部分に対して、挑んでも報われるとは限らないから。 報われたいという前提が居場所のない感じの正体かもしれない。
そんなことを考えながら頭の中をよぎるのは、アンパンマンのオープニング・テーマ。
Televisionを聞いたら、Television自体はまだ理解できていないが、背伸びして聞いているMake-Upがその延長にあることが分かってきた。
横軸に音楽の難易度をとって、縦軸を興味とすると、ざっくり正規分布みたいな波形になると思われる。 難易度は主観によるので、全体としてはいろいろなアーティストが興味を持たれるということになる。 世間一般とこの難易度軸がズレていると、変わった趣味の人ということになる。
母集団としては難易度軸の中心が易しい方向に推移している人が多いので、売れている音楽というのは難易度が低い(ポップ)ということになるのではと思われる。 音楽を聞く人ほど難易度軸の中心が高い方向に推移しているので、売れている音楽に興味がないということになる。
一部、解釈が難しい部分は、後者は売れている音楽に興味はなくても、売れていた音楽には興味があるということ。 この部分は、時間軸とともに難易度軸の中心が推移しているということで説明ができる。 昔は易しかった音楽も、時が経つと難しくなる。
音楽を聞き続けている人は、難易度が低かったときに興味をもって、今に至っているため、今難しいとされる音楽への興味を保持し続けられている。 つまり、音楽を聞き続けることで難易度軸の中心が高い方向に推移していく。
上記が2008-05-06の日記に書いた「同時代性」の部分の説明。
自分と繋がっていないと理解できないという部分に対しては、興味のある音楽の周辺は難易度が少し下がる影響だと思われる。(自分と繋がっていない音楽は難易度が高いという前提) この変化は個人単位の難易度軸に対してのみ発生するため、世間一般の難易度軸に与える影響は限りなくゼロに等しい。 個人単位の難易度軸のことを「音楽の趣味」と呼んでいいだろう。 「難易度の高い音楽をいきなり理解できる」のは、「音楽の趣味」の違いということにならないだろうか。
音楽劣等感を議論する前に、「音楽の本質」なるものが存在するかの議論が必要なのかもしれない。
なんとなく散文的に書き出したもののそれなりの文章になった。 途中、事実と意見が混同されて作為的なものになっているかもしれないが。 趣味を一度、難易度と興味に分解して、再び趣味に戻しているマッチポンプ感。 途中まで、趣味を世間と個人で区別しないで書く作為感。 自己を正当化するための作為感。 アンビバレント!
Modey Lemonの新譜"Season of Sweets"が2008-05-13に発売されるみたい。 公式サイトなどで試聴する限り、実験的な方向に向かっていそう。
ゴールデン・ウィーク中昼夜逆転した生活をしていたせいか、久々に眠れない夜を過ごす。 悩み事のある眠れない夜は贅沢だ。 日頃とんでもなく寝付きがいいので、眠れないという状態は贅沢に感じる。 そんでもって考えるべき悩み事まであるという。
深い根拠はないが、悩み事は歳をとるとともに減っていく気がする。(悩み事にそれなりの答えを出さないタイプの人もいるだろうけど、サンプル数が少なくて一般論にはとても落とし込めない) 悩み事は小説に似ている。 悩み事に対する回答が考えついた瞬間の爽快感と同時に、もうそのことでそれ以上深く悩めないと思うと若干の刹那さを感じざるを得ない。 小説も結末が知りたくてどんどん読み進めるけれども、読み終わる直前にはもったいなさすら感じているという。
Jimiさんはワイト島のライブでガムを噛んでいました。
音楽に詳しい人などと話すと、自分がいかに音楽について知らないかを知って若干落ち込む。
難易度の高いと思われる音楽をいきなり理解できる人というのは何なのだろうと思う。 これは音楽に詳しい詳しくない以前の問題として存在する。 初めは流行りとか権威に付和雷同しているだけなのではと思っていたが、最近はどうやら違うみたいだと感じる。
少し前の日記にも書いたけど、自分と繋がっていない音楽を理解するのが難しい。 理解できないものを理解できるまで聞き込む気力がないことが多いせいなのか。 間口の広さの問題なのか。 そこまでして理解したいか、という問題もある。 世の中にいきなり理解できる人が多く存在するということは、勉強不足の問題ではないと思われる。
共感とか同時代性とかあるのか。 理解した気になる能力とかあるのか。 理解の閾値の問題なのか。 趣味の違いで片付けていい問題なのか。
繋がらないと理解できないということは、音楽の本質が感じ取れていないのではという、恐ろしいことも思う。 自分には音楽しかないと思って生きている人が、こんなことを感じるという恐怖、その示すこと。
Remain Onさんのライブを観戦しに横浜FADへ行く。 今まで見たRemain Onのライブの中で一番音のバランスが良かった気がする。 話を聞いてみると、ギターのトーンを絞って有害な高音ノイズがでないようにしているなど勉強になる。 反面、メッセージ性の強い歌詞なのだから、もっとヴォーカルを前にだせばいいのに、と行く度にもったいないなと思う。
ライブ後終電を見送ってR2邸に泊めていただく。 そんでもって、Number Girl、ゆらゆら帝国、Jimi HendrixさんたちのDVDをオールナイトで見ふける。 いろいろ見て思ったことをエラそうにまとめるフリをする。
リズムの安定度が、安心して聞けるかどうかのカギ。 プロの演奏って安定度が抜群に違う。 8ビートの曲でも16ビートが感じられているかどうか。 バンド・メンバが増えるほどリズムが不安定になるリスクが高まる。
ウタをいかに聞かせられるかがポイントだと思う。 自分のバンドでも歌詞が聞き取れないという意見をよく聞く。 パートの目立たせ方は音量でどうにもならない範囲もあるので、そこは音域で住み分ける必要がある。 その辺では、3ピース・バンド は気にする項目が少なくて有利かもしれない。
某アーティストのインタビューを読んでいて気付いたのだが、ギター・ソロの前とかはブースタとか踏んで音量を上げるんだね。 Sonic Youthも"Dirty Boots"のサビの前ではブースタを踏むんだろうな。 エフェクタがあまり好きじゃない人は、ギター本体のボリューム・ノブでもひねればよいのだろうか。 音質が変わってしまいそうで若干難しそう。
ギター・ソロとかテクニカルなことが苦手だから別に主張しなくてもいいけど、ライヴのあとでギター・ソロ弾いているの初めて気付いた的な発言をされるとちょこっとは主張したい気もしたとかしないとか。
先日、フラフラと楽器屋を3件ほどハシゴしたあと、タワレコで購入したSonic Youthの音源"Goo"が意外と理解できた。 最近のニューヨークあたりのガレージはこの辺を聞いているのかもと思った。 "Dirty Boots"あたりがまんまだね。 一般に音楽のサイクルは20年くらいで来るもんなんだね。 空気感は(International) Noise Conspiracyあたりにも通じているかもしれない。
わりと聞いている音楽の幅が狭いので、少し外れたものを聞くだけで新しく感じられるという。
"pow"って書いて逆さまにすると"mod"になるんだ。