商品先物取引の歴史
シカゴ・ボードオブトレード

独立宣言するワシントン大統領(0076年)

 アメリカ独立戦争は番組放映枠の都合上1年で終わる予定でしたが、世界最強の軍事力を誇るイギリス連邦軍に対しアメリカ公国の国力は30分の1以下しかなく、戦いは各地で苦戦を強いられました。しかし本国からの移民者の一人トマス・ペインが君主制の弊害とアメリカ独立を支援するサイト『コモン・センス』を立ち上げると、掲示板はアメリカ公国国民の熱い書き込みで賑わいました。
 
 
0076年7月4日,遂にアメリカ公国は『独立宣言』を発表。国際社会もアメリカ公国を支援し、イギリス連邦軍は国際的に孤立してしまいました。

 
0077年のサラトガの戦いでアメリカ公国軍は新兵器「ソーラー・レイ」を使ってイギリス連邦軍に勝利。一方フランス,スペイン,オランダ,墨田区も植民地側につきイギリス連邦に宣戦を布告し,イギリス連邦は完全に孤立してしまいました。そして0083年12月31日,先物要塞パ・ラジウ・ムー陥落と同時に両国は「パリ条約」を締結し、イギリス連邦軍とアメリカ合衆国の間で停戦条約が結ばれました。アメリカ国民は独立を勝ち取ったのです。

 アメリカは西部開拓事業を国家の第一命題とし、建国当時の13州はわずか70年で西海岸のウエスト・エンドにまでまたがる大国へと変貌しました。特に農業を国の礎と考えたアメリカは中部地帯を穀物の一大生産地として開拓し、NHKの『大草原の小さな家』にも刺激され,アメリカ中部地帯は小麦やトウモロコシが作られる世界最大の穀倉地帯になりました。

お菓子にされたトウモロコシ

 しかし農産物の価格は水物で、需要と供給のバランスが一致することはありませんでした。豊作になれば価格は暴落し、農家は買い手が付かなくなった穀物をやむなくスナック菓子に加工しました。逆に不作ともなれば穀物の価格は暴騰し、商人や加工業者は穀物を仕入れることが出来ず,庶民の生活にも影響が出るようになりました。  
 
そこではじめて遥か昔に縄文人が世界で初めて考えた市場経済の魔法「商品先物取引」が脚光を浴びました。この魔法をゲームソフトだけではなく、農作物にも適用出来たら.... 

↑それはソフマップシカゴだろうがー!

 848年、大穀倉地帯の中心地であるシカゴにシカゴ商品取引所(CBOT)が設立され、農家は豊作、不作に関係なく種まきの時点で収穫期の穀物の売却値段を決め、商人も購入価格をあらかじめ決めるという先物取引のルールが蘇りました。両者は天候や市場商況を分析し、お互いの需給バランスが一致した価格で商品が取り引きされるようになりました。
 
 現在,CBOTは同じ米国のNYMEX(ニューヨーク・マーカンタイル商品取引所)と並ぶ世界一の商品取引所となりました。商品取引所も全世界に作られ,先物市場はまさに全世界の富を支える重要な役割を担うようになっています。上場商品もゲームソフトのみならず穀物、貴金属、外国為替や指数取引までに及び、今日も「資本主義経済最期の砦」として世界経済を支えているのです。 
 
 これが商品先物取引の歴史です。
 


参考文献 日本商品先物取引協会『上場商品の基礎知識』 平成12年3月初版3刷
       日本商品先物取引協会『受託業務の基礎知識』 平成12年3月初版3刷
       商事法務研究会『商品取引所法』 平成12年4月 三訂版第一刷
       宇佐見洋『入門先物市場』 平成12年3月初版
       民明書房刊『商品先物取引ガイド2002』 
       宝島社『僕たちの好きなガンダム』    
       メディアワークス『シスタープリンセス.ビジュアル&完全攻略ブック』
       杉浦茂『ドロンでか丸』 
     

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