荒尾競馬場・荒尾記念

日本最南端の競馬場・荒尾競馬場


みなさま、おはようございます。
夜行列車の長いご旅行、お疲れ様でした。
間もなく、伊集院に着きます。
伊集院の次は、終点西鹿児島に止まります。


豪族、伊集院氏発祥の地です。
博多始発西鹿児島行き「ドリームつばめ」

 目覚めればそこは薩摩の国。東雲の間に朝の太陽。
 線路脇に咲く紫陽花の花が、ここが南国であることを教えてくれる。

 5時41分、伊集院着。鹿児島の約20Km手前の小さな町で夜行急行「ドリームつばめ」を降りる。鹿児島への早起きの通勤客たちが、替わりに列車へ乗り込んでいく。

 朝の空気が清清しい駅前へ出ると、5時47分発の枕崎行きバスが入ってきた。今日はこれからバスと汽車を乗り継いで、ニッポンの最果て、薩摩半島を半時計回りで一周する。しかし何分僻地なもんで交通の便は最悪で、なかでも途中の野間池〜坊津間約20kmはバスも通らぬ辺境の地だという。
 しかしそんな地だからこそその風景は素晴らしく。東シナ海の大海原は風光絶佳の一言しかないという。しかも今日は雲一つない快晴、未だ観ぬコバルトブルーの海岸美に、期待も否応無にと沸いてくる。
   

 地元のおばあちゃんと二人で出発。間もなくバスは市街を抜けて、薩摩半島西岸沿いを南下する。もっとも車窓からは吹上浜の海岸こそ見えないが、初夏の小さな田舎町を結ぶようにバスは走る。
 バス停ごとに中高生たちがちらほら乗ってきた。この先にある加世田という町の学校に通うのだろう。何時の間にか車内は学生たちで一杯になっていた。
 加世田の市街に入る。駅前メインストリートにはスナックや商店が立ち並び、ちょっとした地方都市といった趣か。6時48分、終点加世田バスターミナル到着。学生の大群にまみれてバスを降りる。

兵どもが夢の跡
加世田バスターミナル

 加世田、この町にはかつて汽車が通っていた。

 先述の伊集院から最南端の港町こと枕崎を目指した鹿児島交通南薩線。かつては日本最南端の私鉄として観光客や地元客で賑わったこの路線も、モータリゼーションの発達と過疎化により乗客は減少。しかし可愛らしいレールバスは大赤字を抱えつつも、地域の高校生や老人達といった「交通弱者」の足として頑張ってきた。
 
 しかし昭和58年の夏、ここを南九州の宿命とも言うべき梅雨時の集中豪雨が襲う。地盤の弱いシラス台地に敷かれた線路はその豪雨の前に、あっという間に流出した。
 
 そしてその後、ここに二度と線路が敷かれることはなかった。

 あれから20年。加世田駅跡はバスターミナルになっていた。鉄道時代はかなり大きな駅だったようで、まるで街中にどかんと空いた空洞のようである。
 バスターミナルは通学生たちの溜まり場と化していた。みんなよそ者の私を怪訝そうに見つめている。
 かつての駅前メインストリートを歩いてみる。食堂があり、商店街があり、スナックがあり。この光景だけは全国どこにでもある地方都市の駅前と変わらない。駅前交差点の横断歩道では旗を持ったおばさん達に、黄色い帽子を被った小学生の一団が元気よく挨拶をする。
 7時25分発の野間池行きバスに乗るため駅へと戻る。ただっ広い構内の隅には現役時代の汽車がぽつんと置かれ、鉄道時代を知らない若者たちを静かに見つめているようだった。 

最果てバス
ローカルバスはさいはてを目指す。

 野間池行きのバスは遅れてきた常連客のおばあちゃんを待って5分遅れで発車。ここから薩摩半島をぐるっと回る国道226号線を走り、さいはての岬を目指す。
 
 間もなく加世田病院前でおばあちゃんたちが全員下車してしまった。道端には「特攻記念館」の看板も見える。戦争末期、大勢の若者たちがここ鹿児島から南の海へと旅立ち、そして二度と帰ってこなかった。

 前方には東シナ海の青い海が見えている。
 
 海岸沿いの笠沙高校前で通学生を全員降ろし、笠沙の市街地に入る。運転手さんは町の人たちと顔なじみらしく。窓を開けて通る人みんなと挨拶を交わしている。町外れでおばあちゃんを降ろすと、遂に乗客は私一人だけとなった。

断崖絶壁!
断崖絶壁!

 海岸線が険しくなってきた。バスも車体を右に左に大きく揺らす。右手には東シナ海の大海原が広がっている。乗客をすっかり降ろして暇になったのか、運転手さんが話し相手になってくれた。私が東京から来たと言うと「東京に比べりゃ、ここらは何も無か所たい」と笑っていた。
 
 途中「大崩」という不気味な名前のバス停を通過。運転手さんに尋ねると「おおぐえ」と読むらしい。その名の通り、時々崖の上から2〜3mはあろうかという巨石が道路に落っこちてくるという。

 小さなバス停を次々と通過する。さっきから乗車客はおろか目ぼしい集落すら見えない。海岸沿いの一本道を貸切バスは悠々と走り抜ける。「さっきからお客さんが全然乗りませんね。」と尋ねると「この区間は国から補助もらって運行しとるけん、お客さんが乗らんでもよかと。」との事だった。

 高崎鼻の先端をぐるりと回って、8時52分、最果ての港町、野間池に到着。ちなみに地名の由来は港が深い入り江になっていて、遠くから見るとまるで池のように見えるかららしい。
 運転手さんにお礼を言ってバスを降りる。降り際に「これからどこ行くと?」と尋ねられたので、薩摩半島を回って坊津へ行きますと答える。すると運転手さん「坊津へはバスがないけん、加世田へ戻って枕崎経由で行かんといけん。」と教えてくれる。
 しかしそのルートを使っても、20km先の坊津へは6時間もかかるのだ。

東シナ海の、風に吹かれて
野間岬

 最果てのバス停は小さな漁港の郵便局前にあった。ここから岬へは徒歩30分。
 初夏の太陽は既に高く上がり、天気は快晴。ここ南国はもう既に夏で、思わず長袖シャツを捲くる。 

 岬へ続く道の上り口に「野間岬ウィンドパーク」という真新しい建物が建っている。実はここ野間岬は年間を通して7m程の風が吹く九州の風極で、遥か大陸から吹く暖かい風を活かして風力発電が行われているという。この建物は九州電力のPRセンターというわけだ。
 
 岬への山道を上がり、半時間後に岬の展望台に到着。岬では10機の風車が夏風を受けて回り、その向こうにはコバルトブルーの大海原が360°視界いっぱいに広がった。 

 

 

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