第二話・旅は道連れ世は情け

ここから20km先の港町、坊津(ばうのつ)を目指す。しかしこの区間は人がほとんど棲まない僻地のためにバスが無い。そこで町外れの国道沿いへと移動し「坊津」と大きく書いた紙を持ってヒッチハイクを開始する。
しかし車がなかなか通らない。よく考えれば人も棲まない僻地なら、そんな所を通る車も皆無であろう。しかも今日は平日なので、頼みの綱の観光客も通ってくれそうに無い。しかしこれしか方法が無いので道端に立って親指を上げ、根気良く車を待つ。
10分程してようやく一台の車が止まってくれた。笠沙(かささ)にある老人ホームの職員さんで、黒瀬という集落へお爺さんを送りに行くところだという。「途中までだけどいいかな?」と言ってくれたが、お礼を言って車に乗り込む。
気分はもう往人さん!さあヒッチハイクの旅に、出発!
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| 野間岬 |
東シナ海が織り成すリアス海岸に沿って車は走る。地図を見ただけでは解らないが曲がり道やアップダウンが激しく、改めてこんな道を歩くのは絶対無理だと再確認する。
私が東京から海を見に来たと話すと、職員さんも爺さんも目を丸くしてびっくりしていた。ここ薩摩半島に限らず辺境の田舎町で「東京から」というと、地元の方は皆まるで異人を見るような顔をする。
職員さんいわくこの辺りは『日本書紀』や『古事記』にも登場した由緒ある土地で、地名の「笠沙」も高千穂峯に降臨したニニギノミコトが到ったという「笠狭(かさ)」にちなんで付けられたという。車の車窓いっぱいに広がる初夏の東シナ海を見ていると、なんかそう神々しい土地のような気がしてくる。
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| ひょっこり沖秋目島 |
間もなく沖合いに緑色の大きな島が見えてくる。沖秋目(おきあきめ)島という島で、50年前くらいまで杜氏が住み酒造が行われていたが今は無人島らしい。ちなみにこの職員さんは島に一山200万円で買った土地を持っている地主さんだという。
陸地が島に一番近づく地点に展望台がある。諸君さんはここで車を止め、島をバックに写真を撮ってくれた。ここは景色がすごく綺麗で、特に夕陽が素晴らしく休日ともなれば鹿児島などらも観光客がよく来るらしい。もちろん皆マイカーだ。
ちなみに「島の土地は何に使うんですか?」と尋ねてみたが、職員さんは「ううん。ただ島持っているだけがステータスだよ。」と言って笑っていた。
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| 山道 |
野間岬から約5Km、黒瀬集落への分かれ道で職員さんともお別れだ。ここから坊津までは約18Km。いざとなったら歩けない距離でもなさそうだし、まあなんとかなるだろう。
しかし職員さんが車を降りる寸前に妙なことを言っていた。なんでもこの辺りは治安が悪く。覚醒剤を積んだ密輸船が度々出没したり、車の中で人が殺されて何週間も放置されていたりというきな臭い事件が後を絶たない土地らしい。
しかしここまで来たらもう後には引き返せない。職員さんにお礼を言って車を降り、山間の一本道を歩き出す。
しかし山道はカーブやアップダウンが思ったより激しく、実距離の割には難儀な道中である。再びヒッチハイクを試みるが如何せん車がさっきから一台も通らない。しかも沿線に人の姿はおろか集落すら見えず、先程の職員さんのお話とも相まって恐怖心が沸いてくる。
南国の太陽は既に空高く昇り、直射日光が容赦なく肌に照りつける。のどが渇いてきたが道端には自販機の一台すらありゃしない。
暫時経ち、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。車だ!車道に立って親指を上げてヒッチハイクを試みるが、女性ドライバーを乗せた車は私を黙殺するかのように通り過ぎていってしまった。
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| 秋目漁港 |
1時間ほど山道を歩き、ようやく秋目(あきめ)の集落に到着した。小さな漁港はまるでゴーストタウンのように静かで、人の気配が全く無い。町唯一の雑貨屋の前でこれまた町唯一の自販機からジュースを買いのどを潤す。雑貨屋の前の郵便局は廃家になっていた。
間もなく町に日本共産党のキャラバン隊が現れた。坊津方面へ行くなら乗せてもらおうと思ったが、残念ながら今さっき通った野間池方面へ向かうらしい。
人気の無い正午の漁港に、有事法制と市町村合併に反対するシュプレヒコールが空しくこだまする。
町外れに「鑑真記念館」という資料館が立っている。実はここ秋目は8世紀の中頃に唐の僧「鑑真」がはるばる辿り付いた由緒ある土地なのだ。早速資料館に入り歴史を学んだ後、冷房の効いた館内でしばし休憩する。
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| 田舎町だけど、映画のロケも行われました。 |
再び山道を歩き出す。さすがにもう体力の限界で、時折道端に座り込み休憩しつつ13Km先の坊津へ向かって歩き出す。太陽の日差しは更に強くなり、湧き水を頭から被って涼をとる。
相変わらずさっきから車が一台も通らない。小一時間ほど歩いた時点でもう限界を感じ、とうとう道端に座り込んでしまった。
暑い。意識が朦朧としてきた.......
暫時たって遠くからエンジン音が聞こえてきた。車だ!思わず車道のど真ん中に立ち、ヒッチハイクを決行する。
私を乗せてくれたのは久志にあるお寺のお兄さんで、今日は大浦の檀家さんのところへ行った帰りとのこと。普段は山合いの近道を通って帰るのだが、今日は天気がいいので海沿いの国道を通って帰ることにしたらしい。お兄さんは以前東京で働いていて、数年前実家のお寺を継ぐためここ坊津に戻ってきたんだと話してくれた。
226号線を軽快に飛ばす。地元の方から見ても今日の海は格別綺麗らしい。しかしそんな美しい海岸も時として密貿易船が出たりと、どうも平穏な場所ではないとのこと。お兄さんが言うには数年前日本最大の覚醒剤密輸事件が発生したのも丁度この辺りらしい。
「でも坊津って、基本的に太古の昔から密貿易で栄えた町だからね。」
お兄さんはそう言って笑っていた。幕末に薩摩藩が維新を成し遂げた原動力というべき資金も、実は彼の地で長年行われた密貿易の利益によるものらしい。
しかしお兄さんは密貿易より北朝鮮からの工作船が怖かったと。そういえば朝通った吹上浜も20数年前にアベック拉致事件が発生した土地だった。お兄さんも「あの頃はよく一人で外を出歩くなと注意されたもんだよ。」と話してくれた。
久志に到着。役場を擁する坊津町の中心街で、ここからはバス路線もある。
バスの発車までまだ時間があるからと、お兄さんが実家のお寺に案内してくれた。
お寺では今年で94歳になるというおばあちゃんにご飯をご馳走していただく。今日は加世田のコンビニ以来全くご飯を食べていないので。もう、とても嬉しかった。
おばあちゃんもお兄さんも「東京に比べりゃここらは何もないです。」とおっしゃっていたが、青い海に豊かな自然、そして暖かい人情......
「東京に比べりゃうんといい所だと思いますよ。」と返す。
しかしおばあちゃんは「でも台風は恐ろしいですよ。特に枕崎台風のときなんか、もう生きた心地がしませんでした。」と語ってくれた。
枕崎台風。昭和20年の9月のことである。
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| 人情の港町、久志 |
お兄さんに案内されてバス停へ。ちなみにバス停の裏は小学校と中学校になっていて、お兄さんももちろんここの卒業生である。
「今はどちらも全校生徒が2,30人てとこかな。」と。
13時06分。枕崎行きのバスが来る。ここでお兄さんとはお別れだ。お兄さんは「バスの中で食べて」とお土産にお菓子まで渡してくれる。もう嬉しくて、言葉も出ない。
「今日受けた御恩は他の誰かにきっと返します。」
そう言って私は、人情の港町を後にした。