石見の国の6枠連単
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| 楊貴妃の里公園 |
時は8世紀前半,大陸の唐帝国は最盛期を迎えていた。若き皇帝玄宗は詩や芸術を愛する敬虔な名君で、首都長安は日本を始め全アジアから留学僧や商人が集まる東洋一の大都市であった。
しかしそんな名君の治世も後半になると土地が不足し財政が悪化。そんな折り老君は息子の妃である楊貴妃の美しさに魅了され、彼女を奪い自らの妃とする。彼女の美しさの虜となった老帝は政治に対する情熱を失い、国は乱れ始める。
間もなく国内では「安史の乱」が勃発し、反乱軍は首都長安へと突入する。老帝は妃と共に都を逃れようとするが、日頃から楊貴妃を快く想わない部下達は行軍を拒否。老帝は泣く泣く楊貴妃を殺害し側近とともに蜀へと落ち延びていった。
しかし伝説では楊貴妃は密かに都を逃れ船で大陸を脱出し、ここ長門国向津久へと漂着する。村人は長旅で窶れきった彼女を介抱するが、彼女は自分が唐皇帝玄宗の妃楊貴妃であることを言い残しこの世を去る。村人は彼女の亡骸を西海が見えるこの地に手厚く葬り、墓標を建てた。
一方その頃、玄宗は大陸で楊貴妃への想いを募らせていた。そんなある日夢の中に死んだはずの楊貴妃が現れる。
「私は密かに大陸を逃れ日本にたどり着きました。村の方々に手厚く介抱してもらいましたが、この世のものではなくなってしまいました。天上と地上に別れても、いつかまたお会いできる日が来ると思います。」
玄宗は彼女の霊を慰めるために仏像を造らせ、部下を日本に派遣し彼女の墓に仏像を届けるよう命令する。そしてその仏像が二尊院に祭られている阿弥陀如来と釈迦如来である。
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| 楊貴妃のお墓 |
階段を登ると,楊貴妃の墓とされる五輪塔が立っていた。ふと後ろを振り返ると海が見える。あれから1200年以上の時を経ても、彼女の魂はここから海の向こうの祖国を想っているのだろうか?
楊貴妃の里は小高い丘の上にあった、バブル期の「ふるさと創世資金」によって整備された綺麗な中国風庭園に、高さ3.8mの巨大な楊貴妃像が唐の方角を向いて建っている。楊貴妃最期の地と伝えられる中国の馬嵬坡(ばかいは)に立つ像と同じもので、中国の彫刻家によって造られたものらしい。白亜の楊貴妃は夏至の太陽に照らされ眩しく光っている。
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| 夏の道 |
バス停へと戻り、海沿いの小道を本州最北西端の漁港、大浦へ向かって歩き出す。バス1台がやっと通れそうな細い路地を抜けると山道になった。僅かに傾いた西日がぎらぎらと照りつけ、玉のような汗がどっと吹き出る。
30分ほど歩くと港へ出た。沖合には漁船が駐留され、潮の香りが街全体に漂っている。港の裏の砂浜へ出ると日本海の大海原が広がっていた。
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| 夏影 |
ここが1200年前楊貴妃がたどり着いたとされる海岸なのだろうか?ここ油谷の楊貴妃伝説は民間伝承の域を脱してなく、正直に言えば史料の信憑性は薄い。実際の楊貴妃は長安近郊で殺害されたものだと思う。
しかしそれは薄幸の美女であった楊貴妃をなんとか救いたいという、いわば我々の先祖の「萌え」の心が生み出した物語ではないのだろうか?鎌倉時代の義経伝説をはじめ、我々日本人のDNAには「よわきもの」「はかなきもの」に対する暖かい心が確かに組み込まれている。それは21世紀の現代を生きる私達にも,充分共感できうるものだといえるのではないだろうか?
ふと空を見上げると、夏の青空が広がっていた。遥かかなたの大陸から吹く暖かい風が頬を撫でる。傾いた西日が海面をぎらぎら照らしている。これだけは1200年前からずっと変わらぬ夏の光景だった。
彼女の魂は今もこの空で、海の向こうの故郷を想っていると思いたい。
夏はどこまでも続いていく。
彼女が待つ、その大気の下で。