そうだ、名古屋、行こう〜ほっちゃんに逢いたい 1月6日(金)
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| お帰りなさいませ御主人様? |
6時05分、汽車は定刻通りに夜明け前より瑠璃色な名古屋駅へ到着しました。当駅で切り離される7〜9号車は6時55分発の豊橋行き「ホームライナー豊橋2号」となり、豊橋から9時08分発の飯田行き特急「ワイドビュー伊那路1号」として運用されます。
ここで米原方面へ向かう先輩とはお別れ。「大垣では3号車の前方左扉が便利ですよ」とアドバイスをさせて頂き、私は地下鉄の乗り場へ移動します。
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| 先生、本当に乗る気ですか・・・? |
杏の予定は朝7時05分から豊田市へしゃしゃり出て元外務員同士の腐れ縁ことtomoさんと合流。手始めに名古屋の聖地こと大須を表敬訪問し、午後から三河安城へ向かい「ほっちゃーん!ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」を行うことになっています。
地下鉄東山線で伏見へ出て、鶴舞線に乗り換え赤池経由で豊田を目指します。名鉄豊田線に入ると列車は地上を走るようになり、名古屋市近郊の冬景色の中を淡々と走ります。
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| 猿投にやってきたよ〜! |
梅坪で向かいホームの名鉄三河線猿投行き普通列車に乗り換え、7分程で終点の猿投に到着しました。豊田の町外れに位置する終着駅で、飯田街道の旧宿場町である足助への玄関駅でもあります。
かつてはここより先の西中金まで8.6Kmの線路が延びていました。キハ30と呼ばれたレールバスが単行で走った情緒溢れるローカル鉄道でしたが、名鉄の合理化政策の一環で04年の春にあっけなく廃線に。そこで今回当時の線路跡を辿ってみたく思い、ここ猿投を合流地にしてもらったという経緯です。
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| 線路は、ここで終わりです・・・。 |
列車の入替用に使うのでしょうか、線路は猿投駅から少し先まで伸びていました。踏み切りを渡り、住宅街の中を単線の線路が伸びています。しかし200mほど線路の上を歩いた地点で、突然バラストと車止めが現れ線路は無情にも途切れてしまいました。
私が在りし日の三河線に始めて乗ったのは5年前の01年8月。非電化単線の線路をたった1両のレールバスがトコトコ走る光景に「これがあの大名古屋鉄道の路線なのか!」とびっくりした思い出があります。当時は揖斐線に旧型電車が走っていたり、岐阜に路面電車が走っていたり。名鉄のローカル線も後に耳を揃えて全て廃止になってしまいましたね。合掌。
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| 西中金駅にて(2001年8月撮影) |
で、これが当時の名鉄三河線の終着駅、西中金駅。ホームに停車しているのがレールバスのキハ30です。
実は当初の予定では、ここから先の足助まで線路が延びる予定でした。しかし完成を間近にして足助への鉄道敷設は断念され、その鉄道未成線は一度も列車が通る事無く棄てられ土に還ってしまいました。
その後を追うように、猿投より先の線路もまた同じ運命を辿ろうとしています。