書 評 の 庵


■宮城谷昌光『青雲はるかに:上・下巻』集英社, 2000.

 面白い、と思うままに素直に読み下せる小説。『孟嘗君』の風洪(白圭)のようなパワフルで魅力的な人物は出てこないが、主人公、范雎(はんしょ)の苦難を乗越えての復讐、出世話として十分に満足のいく作品である。ラストが静かに終わるのが余韻を感じさせているが、物足りないのは孟嘗君と同じか。その中にあって、仙界と繋がりのある薬売り、吟尼の存在がこの話に一つの枠・幅をもたらしている。現実と非現実、そのあわいというべき空間と時間の流れをこの小説において感じることができる。想いは強く、その流れる血は熱く、人々を包む大地は雄大で優しい。中国という舞台はかくも面白い。宮城谷作品の真髄である。そして「青雲」。タイトルともなっているこの一語が読後の私の心に染みてくる。それはこれからの人生をいかに生きていくのか、を再考させ私の決意を新たにしてくれた。


ガストン・バシュラール(澁澤孝輔訳)『蝋燭の焔』現代思想社,1987.

 私の考えていること、思索を補い、共有を示してくれる書物がある。それはロレンスの『イタリアの薄明』であったり、ハイデガーの『詩と言葉』であり、ヤスパースの『悲劇論』等である。その書架にこのバシュラールの著作を加えたい。バシュラールとの出会いは、大学二年の秋であった。テニスンの詩 `The Lady of Shalott´ の批評に、彼の用いた幾多のコンプレックスを参考にさせてもらった記憶がある。さて、蛍光灯の白い光の下で読書をする現代において、燈された蝋燭、ランプの揺らめきの中で読書するという体験はなんと新鮮で、我々の感覚を刺激することだろう。読書に疲れたとき、ふとあげた両の瞳に蝋燭の焔が飛び込んでくる。それはおそらく創作の、思索の泉となるのであろう。冷たいガラスと機能的な黒いフォルムのスタンドをしか持たぬ私には、想像をしかできぬ。穏やかで緩やかで、しかし熱く、無限の上昇をさえ感じさせる燃え立つ焔、それはいかに私の心を癒し、高みへと連れ去るであろう。バシュラールはジャン・ヴァールの詩行より引用している。「おお小さな光よ、おお泉よ、優しい夜明け」と。


F・ブローデル(浜名優美訳)『地中海:1〜10巻』藤原書店,1999.

 日本における和辻哲郎の『風土』に比する、あるいはそれ以上の斬新で明確な視点を私に提示してくれた書物。帯に「不朽の名著」と謳っているのは伊達ではない。読んでみれば分かるが、文章の一つ一つが、機能的で魅力的である。「学術書は読み物でもなければならない」というオルテガの言葉を体現している書物である。そして次に、本文の裏づけとしての豊富な資料群に圧倒される。これだけ多くの分野から眺めている書物はちょっとない。10冊全て読むのはちょっと……という人は、1巻だけでも手に取ってみるとよかろうと思う。海と山と川、台地、平原……そういったものが如何にして存在し関連しているか、そしてそれが人々にどのような影響を与えうるのか、きっと括目させられることだろう。最後に、この書が日本翻訳文化賞をとっていることを付け加えておく。


■テオフィル・ゴーチエ (田辺貞之助訳)『死霊の恋・ポンペイ夜話他三篇』岩波書店,1982.


■トルストイ『人は何で生きるか』

 人は愛で生きる。神を愛し、他者を愛し、自分を愛する。天使は神様から宿題をあたえられ、人間界にてそのことを学ぶ。童話口調で、せまってくるエッセンスは晩年のトルストイそのものだ。


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